五世紀の社会

このページでは、『シドレクスサガ』の理解の決め手となる、 五世紀の社会のいくつかの側面を語ります。

西暦406年以降、いくつかのゲルマン部族がライン川を渡り、ローマ帝国に 移民してきました。かれらはさしたる抵抗にもあわず、王国を築き上げました。

なかでも有名なのが、ガリア南部の西ゴート族、北アフリカのヴァンダル族、 そしてそしてライン川のほとり(ヴォルムスあたり?)に住んだといわれる ブルゴント族らのの王国です。

これが、侵略者たちによる第一の波だったのです。 やや後年になって、第二の、さほどに衝撃的でない波が始まりました: フランク族と一般に呼ばれている部族による、ライン川ちかくの辺境の浸透です。

この第二の波は、最初の波と幾つかの点でことなっています:

もしリッターが正しければ、ディートリヒ、ジークフリート、そしてニーベルンゲンは、 第2派の侵略部族のなかにいたのです。

フランク人時代の初期の頃、もっとも重要な政治的事実は:

何人もの王が割拠しており、 隣国の王同士、たがいに睨み合い、あわよくば他を 併呑することを虎視眈々と狙っていたこと、です。

これは、グレゴリオスの記すところよる、クロヴィスの 血みどろの王政を見てもじゅうぶんに裏付けられています。

ですから、競争は白熱したものでした。どの王も、隣国から国を守りきり、すきあらば、 他を攻める機会をうかがわなければなりません。

いずれの目的にしろ、多数の戦士が必要となりました。 これら戦士も、王を君主と仰ぐためにはそれ相当の理由が要ったのです。

なぜ戦士らは王に服従せねばならぬのか?主な理由は、金です。 どの王も、定期的に家臣に、ふんだんな褒美を分け与えることが当然とされていました。 そうした褒美を与えるには、他の王の財宝を分捕らなくては なりませんでしたし、それには十分な数の部下を引き従えることが不可欠であったのです:

ですから、多くの部下をつれた王は、他の王の財宝を獲得し、それをもとにさらに 多くの勇士を募集し、さらなる勢力拡大を可能にしていったのです。 クロヴィスがフランクの統一王となれたのも、このメカニズムが働いたからなのでした。

ところが、財宝の蓄えのない王は、非常な苦境に立たされることになります。 財なくして、どうやって部下をふやせるでしょう?

その答えは、ヒロイズムです。

もしそれが偉大な王であり、皆の認める英雄であるならば、勇士らは、王がその 武力の技量によって、隣国の者らを打ち負かし、財宝も獲得できるにちがいありません。 さらには、偉大な英雄に仕えることは名誉でもありました。 むしろ、たとえ全世界の財宝を手にした王とて、その者どもを戦地に率いて勝利に 導く資質があることを証明してみせなくてはなりません。

よって、クロヴィスが他のフランク人の王たちを、ことごとく破ることのできたのが、 507年に西ゴート族を打破してその英雄の資質を証明してみせた、あとだった のも、けっして偶然ではありません。 もちろん、そのとき奪った財宝も、兵の召集に役立ったでしょうが、その武勲のなければ、 意味がなかったでしょう。

ヒロイズムは、国王に、ステータス、たとえ分配する金銀財宝に乏しくとも、 その埋め合わせとなるほどであったのです。

『シドレクスサガ』のテキストを研究するにあたり、このことを念頭に置くことは、 非常に重要です。 それがなければ、このサガは、単なる独立した物語を編纂しただけになってしまします。 ヒロイズムや社会的な包含をふまえると、サガの多くの部分にそれまで見えなかった構造性や 意義があらわれきます。

たとえば『ベオウルフ』を読めば、王家の 子息が、王の跡を継ぎたくば、まだ王の財命中に自分で腹心の手駒を集めて、まわり に結団させなければいけなかったことはあきらかです。 また、せめてひとつくらいの冒険には参加しなくてはなりません。 ベオウルフの場合は、グレンデルを退治してこれを果たします。

『シドレクスサガ』にも同じことが見受けられます。 ディートリヒは、まだ父王の亡くなる前から、何人かの勇士を供に従えます。 そしてたった十二歳のときに、二人の兇暴な巨人たちを殺し、 英雄の器を示します。

『シドレクスサガ』の概略と比較する。 まず、ハイメ、ヴィティッヒ、ファゾルト、ジントラム、デトレフが ディートリヒの配下にくわわってのち、はじめてディートマル王は、崩御します。

ヒロイズムが主たる興味の点となっている、これよりも明快な例は、ディートリヒの かかわるベルタンガラントの物語に提供されます。

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