批評家によるリッターの歓迎

このページでは、リッター論が学界で受けた歓迎について語ります。

私の知る限り、リッター論についての記事(論文)は、たった三件しかありません。

ヤノータの批判は、主にリッター個人の非難にはじまり、 リッターの言うことがまったくのナンセンスであることは周知の事実ゆえ、それをわざわざ 証明して見せるまでもない、ということを示唆するコメントがつづきます。

たとえば、リッターは、『シドレクスサガ』で挙げられるニーベルンゲン族の数(1000人) のほうが、『ニーベルンゲンの歌』であたえられる数(20,000人)よりも真実に近いのでは ないかと主張しています。
これについてヤノータは、リッターがニーベルンゲン族の総数がぴったり1000人だと 思いこんでいる、などという言いがかりをつけ、これによって、リッター論は完全に論破できた などとしているのです。

これに反駁してデン・ベステンは、 ヤノータが、明らかに的はずれなことを指摘しています。 リッター論があやまりでああったとしても、そのドゥナ川についての 発見は、きちんと説明されてしかるべきで、毒舌的な弁論によって 片付けていい問題ではないのです。

ベックのリッター論についての反応は、 その内容もさることながら、暗黙裡に仮定してかかっている事柄においても、 非常に奇妙深いものです。

まず、ベックは、リッター論について長々と応じることには、さしたる価値はない、 "weil sie eine totale Revolution herrschender wissenschaftlicher Positionen anbahnten." [訳:なぜなら、かれは、確立された学界的な見地に、まったくの革命をもたらしたからだ] と説明しています。

とはいえ、ベックは、リッターの地理的特定はおそらく正しいのではないかと評しています。 すなわち、『シドレクスサガ』のなかでは、ディートリヒやニーベルンゲン族は、ライン地方に 住んでいたと信じられていたのではないか、と。

ただし、リッターのこの発見にしろ、それは、『サガ』の作者が、 すべての出来事を自国のライン地方に移して、現地の聴衆へのアピールを高めたからだ、 とうのがベックの解釈です。

最後にベックはディートリヒ・フォン・ベルンはやはりテオドリック大王であったとの オーソドックスな定説を再提唱していますが、これについては残念ながら、 なんの根拠も挙げていません。

ベックによるリッター論の解釈には、おもしろいものがあります。 いかにも職業的な執筆家が、聴衆にあわせて物語を多少変えたりすることは、 大いにありえるでしょう。もし、富裕な王侯たちが、郷土の英雄にしか興味が ないとなれば、執筆家はその要望にこたえなくてはなりません(そうやって、 窮して必要な金銭を手にしたのです)。

これは、『シドレクスサガ』が、まちがった地形を反映している、 ということを説明するにおいては、優れた推論であるといえるでしょう。
ですが問題はこれです:

一見、それは―『シドレクスサガ』にあるのは、正しい地形ではないからだ― という簡単な回答ですませられるような気もします。
ですが、そう決めつけられているのはなぜでしょう?

そして、『シドレクスサガ』の地形は、もっとも信頼すべき情報元とはいちじるしく 異なるので、それは間違っているといわれるのです。

ようやく、この件にかんしての中核にやってまいりました。 『ニーベルンゲンの歌』の詩人は、ドナウ川流域のどこか、あるいはパッサウあたりに 住んでいたというのが定説です。
『ニーベルンゲンの歌』では、ニーベルンゲン族はドナウ川をつたって旅をし、 パッサウに立ち寄ってそこで司教から厚いもてなしをうけます。

ちなみに、これは、詩人の出身地がパッサウでだとする論証 のひとつです。

それでは、『ニーベルンゲンの歌』の作者こそ地形を改ざんして、 その聴衆の好みに迎合したとは考えられないのでしょうか?

そうすれば、『ニーベルンゲンの歌』のほうこそ間違った地形を反映するものとなり、 『シドレクスサガ』の地形のほうが正しいという可能性も出てくるわけです。

残念ながら、そう仮定するには不利な論拠があります。 それは、『ニーベルンゲンの歌』が、5世紀と断定されている資料との整合性がとれていることです。 けれど、この整合性というのは、その見かけほど磐石なものではありません。

勝敗は膠着状態にもつれこんだといえましょう。『シドレクスサガ』と 『ニーベルンゲンの歌』の地形は異なり、いずれかが聴衆(読者)に合わせて 設定を変えた公算が高いとおもわれます。しかしそれは、いったいどちらのほうでしょう? この問題は、地形学(や5世紀の資料)だけで回答するのは不可能です。

ですが、 『ニーベルンゲンの歌』が、地形学的にも歴史的にももっとも信頼ある 資料であるというドグマは、もう成り立ちません。

その可能性はありますが、学者たちが、この可能性のみから論説を構築するのであれば、 せめて『ニーベルンゲンの歌』以外の証拠を集める努力をするべきかと思います。

近い将来、 Lex Burgundionum (『ブルゴンド法典』) と、そのニーベルンゲン族の人物特定にとっての価値について記述したいと思います。

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