事例研究: ベルタンガラント

このページでは、『シドレクスサガ』のベルタンガラントの章にふれ、 この作品がディートリヒ・フォン・ベルンが健在中の時代に書かれたもので、 その後800年、ほんのわずかしか変えられていないことを証明できればと思います。

ベルタンガラント: ディートリヒは十二臣将を集めると、 ベルタンガラント国に向かい、国王イズンクとその十一の王子、そして旗手 ジークフリートを相手取るトーナメント大会に挑みます。

サガのベルタンガラントの各章と比較する。

ディートリヒは、なぜベルタンガラントに出かけていったのでしょう? 卑見を述べさせていただけるならば、それは勲功を収めるチャンスだったからです。
ディートリヒは、英雄になろうと躍起になっていたのです。英雄となれば、おのずと 自分の旗のもとに戦士は集まり、隣国との対立にも有利になれます。

五世紀の社会における勲功の重大性のページをロードする。

さらには、一騎打ちで相手を負かすと、勝者は相手を家来にすることができます。 よって、勝てばディートリヒには、得るところが大であったのです。

なにしろジークフリートを家来に加え、(それにジークフリートの部下もついてくると いうに違いありません)、イズンク王やその王子ら(とその家臣)をものにできるのです。

ディートリヒは、何十人も部下を手駒に加え、あるいは何百もの兵を増やすことが できるかもしれなかったのです。それこそディートリヒがベルタンガラントで 仕合いたかった理由なのです。

 

勝利

サガのベルタンガラントの各章と比較する。

一見、『サガ』は、ディートリヒのベルタンガラントでの大勝利のみを伝えるかのようにみえます。 しかし、再読すると、いくつかおかしなことに気づきます:

このなかで、緻密に描写されているのは、ディートリヒ対ジークフリートの試合だけです。 ディートリヒは、知恵を絞り、暴力にもうったえ、 勝利をおさめて英雄たることを証明します。  しかし、この勝利もよくみると完璧なものはいえません。 それに総合点数の上では、ディートリヒ側の敗北です。

さらに面白いのは、トーナメント試合後のディートリヒの命運です:

よって、ベルタンガラントの後、ディートリヒの臣将は、三人しか残っていません。

しかし、もっとも気になるのはジークフリートです。この人物のその後の活躍を 語るにあたって『サガ』は、いたって曖昧です。

まず、ディートリヒに敗北を喫した語、ジークフリートは降伏を申し入れ、 ディートリヒの従者になります。
『サガ』では、そののちのち、ジークフリートは、ハーゲンとグンテルの妹グリムヒルトと 結婚したことになっています。この婚姻を通して、かれもニーベルンゲンラント国王のひとりに くわわります。

グリムヒルトと結婚したジークフリートは、ディートリヒの仕官を辞しているはずです。 しかし『サガ』はそのことには、明確にはそのことに触れていません。 それどころか、『サガ』は、ディートリヒとニーベルンゲン族のあいだで和平と 協調が保たれていたことをことさらに強調していますし、ディートリヒは、 ジークフリートの結婚を進んで祝福します。 ですが、ディートリヒがじつは、ジークフリートの結婚にはなんら関係していなかった とみる根拠も存在するのです。

私見ですと、ニーベルンゲンの王室は、いそぎジークフリートを奪ってゆき、 あわただしく彼とグリムヒルトの婚姻をととのえたように見受けられます。 一方ではニーベルンゲンの王室は、真の勇者をその宮廷に誘致し、 一方ではディートリヒが虎の子(ベルタンガラントでわざわざ戦って 得た唯一の利得)を損失したわけです。

 

零落

さあ、そしてどうなったでしょう?ジークフリートとグリムヒルトの結婚につづいて、 『サガ』はヘルボルトとヒルダそしてイロンとイゾルデの冒険について、くどいほど 細かく記述しています。 この部分は、おそらく後世における 挿入なのでしょう。 このなかには、ディートリヒの配下の結婚についても描かれていますが、そうした婚姻は、 原サガのなかにあったのでしょう。

ですから、元のストーリーでは、ベルタンガラントについては語っていましたが、 ディートリヒがトーナメント試合には勝てなかったことは伏せて、ディートリヒ 配下の婚姻について語っていたのです。 そのあと、『サガ』では

ディートリヒの叔父エルメンリクがディートリヒの国に攻め込み、逃亡に追いやること

を記述しています。

ディートリヒは、退却を強いられ、ゾーストにあるアッティラの宮廷での逃亡生活を 余儀なくされます。ついてきた部下といえば、ヒルデブラントとヴィルデベルのみ。 ハイメは盗賊になりさがります。

ベルタンガラント以前、ディートリヒは、堂々たる家来衆をひきつれた、一国の主 であり、隣国も恐れをなしたものでした。しかし、ベルタンガラントがあってからと いうもの、かつての十二臣将も、わずか三人に減ってしまいます。兵卒の数もおそらく これと等しい比例で激減したでしょう。

ディートリヒは、一転、小国王におちぶれ、その領地も、もはや奪える者どおしが 奪いあう、垂涎の的のごときとなってしまいました。 隣国のなかでも最強の君主、叔父のエルメンリクは、そこにつけこんで、ディートリヒ の国に攻め込んだのです。 ディートリヒは、防衛戦にも応じず、ただひたすら逃げてアッティラの宮廷に駆け込んだのです。

ですから、ベルタンガラントの出来事は、大英雄ディートリヒ・フォン・ベルンの 生涯の頂点でなどなく、まったく拾うところすらない、災禍であったのです。 なにしろ、そのために、ディートリヒの配下の団結は支離滅裂となり、王国は 無防備状態と化してしまったのですから。

 

プロパガンダ(宣伝・吹聴)

ところが、『サガ』は、まるで何ら不都合さえなかったように、語調も軽やかに 話をすすめ、ディートリヒがアッティラの幕僚として はたした、こよない武勇や征服についてを、雄大に延々と語るのです。

ですから、『シドレクスサガ』におけるベルタンガラントの各章は、元々は、 ディートリヒ・フォン・ベルン自身を讃えるためのプロパガンダとして 創作された可能性が濃厚です。

『サガ』 (というよりも、その原作品)は、つまりディートリヒの業績を、 最大限に贔屓した見方で書かれており、混濁としている事実や、不利な事実は、 まるっきり無視してしまっているのです。
まあ、しかしそれがプロパガンダというもののそもそもの目的なのですから、 驚くには値しません。

しかし、驚くに値するのは、『サガ』が、いちばん一筋縄な やりかたでディートリヒを英雄に仕立て上げなかったということです。

『サガ』は、ディートリヒがトーナメント大会でどうやって勝利したか、 また、増やした部下を伴って凱旋して帰国したありさまなどを記述しては いないのです。

換言すれば、『サガ』は、不利な事実を覆い隠すために面とむかって出まかせを 言ったりはしなかったのです。長期的にみて、そうしたほうがプロパガンダとしては 効果的だったにもかかわらず。

しかし、短期的にみれば、虚言を吐くことには弊害も生じます。 もし、でっちあげが知れるところとなれば、物語じたいが真に受けてもらえなくなり、 その喧伝価値はゼロになってしまいます。

ですから、『サガ』の原作者は、一部の人間には本当の事実も知れわたっていると いうことをふまえて、あんまりにもとほうもなく事実とかけ離れるようのないように 注意しなくてはならなかったのです。

『シドレクスサガ』のベルタンガラントの物語が、ディートリヒ・フォン・ベルンと の生きていた時代、より旧い物語に根ざしていると信じる理由が、これで二つあります:

ですから、ベルタンガラントの物語の中核は、ディートリヒ・フォン・ベルンと の生きていた時代に制作され、口承伝承によって忠実に保存され、800年を 経たのち書き留められたのだという結論に達します。

 

800年

800年というのはなんとも長い歳月です。また、ディートリヒの死後は、その プロパガンダとしての価値も薄れてしまっています。口承伝承で語り継がれたのは、 その歴史的価値ゆえにではなく、聴衆がディートリヒ・フォン・ベルンの英雄譚を 次々と所望したからです。

800年の間に、ディートリヒの業績は吟遊楽士たちによって、誇りをもって 語られたのです。 可能性としては、楽士たちは、物語のなかの「史実」を気にかけたかもしれませんし、 あるいは、まったく気にかけなかったかもしれません。 少なくとも一部の楽士たちは気にかけたでしょうし、残りは、聴衆の期待に沿うまま に、嬉々として次々に物語を作りあげていったことでしょう。

聴衆たちは、自分たちの好みというものを、ばっちりと心得ているものです― そしてそれは、人気の英雄たちの、広く知れ渡った物語なのでした。 ですから聴衆も、楽士たちがあまり改ざんをおこなわないよう、チェックする 存在となっていたのです。つまり、話の大筋は知っていて、細かな部分を 埋めて語るのは、楽士に期待したのです。

しかしなによりも聴衆が聞きたがっていたのは、ヒロイズムが もりだくさんな物語でした。 古代の偉大なる王たちはどれも、猛々しき英雄たちであり、それこそ 日常茶飯事的に竜を両断したり、巨人の首を刎ねたり、勇猛に互いと死闘を くりひろげたりしたものです。 物語の歴史的価値がうすれるなか、その英雄譚としての価値がだんだん、聴衆らに とって(転じて楽士たちにとって)大事になってきたのではないでしょうか。

たとえば、十三世紀の『バラ園』(Rosengartenlied)は、ディートリヒが、 グリムヒルト王女によってトーナメントの挑戦を受け、グリムヒルト王女の 栄誉の騎士であり夫であるジークフリートと敢然として戦ったことが書かれています。 ディートリヒは十二臣将を供に連れ、勇敢な敵の同数(ニーベルンゲンの王らとその 勇士たち)と戦ってこれを降したのです。 ディートリヒのような大英雄たるや、その戦いっぷりは、やっぱりこうでなくては なりません。

後世の楽士はなぜ、ヒロイズムのもりだくさんな物語を必要としていたはずでしたのに、 ディートリヒの勇者たちに、勝利の花をもたせなかったのでしょう? なぜ、かれら勇者たちのほとんどが、勇士らしからず敗れるという、あやふやな旧来の 物語を守ってきたのでしょう?

もしかするとそれこそ、「本当の話」だったからではないでしょうか? つまり歴史的事実だったのでは?

もしかすると、これこそ本当に起こったことであって、曲げられぬ事実だったのでは? もし、楽士たちがもとよりそう信じていたならば、あるいは『シドレクスサガ』の 物語にも、歴史的な価値ある情報が含まれているかもしれません。

私見では、ディートリヒの勇士らが、ベルタンガラントのトーナメント大会で、 いかにして敗北したかをかたる物語の、構造そのものこそが、 次のことを裏付けていると思います:

口承文学は、ディートリヒ・フォン・ベルンとその勇士たちについての史実を、 良好なかたちで保存してきたらしい。

しかしながら、我々は注意しなくてはなりません。物語の大筋は、保存されているというもの、 二十四世代の楽士によって語り継がれれば、詳細も変わると言うものです。また、いくつかの 物語は、あきらかにかなり後の年代のものです。

さらには、『サガ』が、不利な事実を隠すために、漠然と嘘をつくこともあることです。 これは、ベルタンガラントの物語だけでなく、『サガ』の他の部分 でもみられます。

私は『シドレクスサガ』が、五世紀のライン地方におきたいくつかの出来事についての 歴史的資料として有用だと考えます。 それなりの細心を払う必要がありますが、得られる成果は大きいと思います。

ホームページに戻る。