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* 以下は、Rudolph Keyser 著The Religion of the Northmen (1854 年)の 第 XXIV 章 Sorceryの訳出である。


魔法

第XXIV章


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魔法、すなわちフィエルキュンギ fjölkyngi ゲルニンガル görningar [複数形]   (1)は、異教の北欧人の民間において、ごく普遍的に信じられていた。 このことは元はといえば、「魔術がアーサ神族の発明である」と説く教義自体に由来する。
北欧人は、二種類の魔法、すなわち《ガルドル 》 galldr と《セイズ》 seiðr とを区別した。
《ガルドル》は、 「歌う(gala)」に通じ、魔術的な歌 (《歌謡》 ガラ または《加護の譚詩曲》 クヴェザ・ガルドラ )を演じることによって実践するタイプの魔法である。 《ガルドル》を発明し敷衍ふえんさせたのはアーサ神族で、とりわけそれはオージン(オーディン)のしわざとされるため、オージンには、魔法呪文の父ガルドルス・フェズルという綽名すらついている。 《ガルドル》の実践者たちのことを称して呪歌の匠達ガルドラ・スミジル単数:呪歌の匠ガルドラ・スミズもしくは呪歌人達ガルドラ・メン単数:呪歌人ガルドラ・マズという。 《ガルドル》においては、ルーン文字が魔法文字としてとりわけ重要な地位を占めており、 術者は呪文を歌うと同時に、求めている効果にあてはまるルーン文字を、書きしるすか、刻むかしたらしい。 呪歌や呪文じたいも、しばしば「ルーン」 と呼びならわされていた。こうした呪文を唱えることで、武器から身を護り、鎖のいましめを解きほどき、傷を癒し、 病気を治し、火を消しとめ、嵐をしずめ、女性の愛をものとし、預言を請うべく死者を呼びさます(2)等の効力があるものと、信じられていた。 『古エッダ(*古代謡の集大成)』では−我々にとってはしばしば意味難解な記法によってであるが−こうした呪術に言及しているし、そればかりでなく、強力なガルドル呪文の句を幾編か収録し、ルーンの魔術的用法も解説している。 例えば、「オーディンの箴言しんげんをしめくくる[いわゆる]「オーディンのルーン歌」。さらには、「グロアの呪文」「シグルドリーヴァの歌」等が、それである。 後者の詩には、とくに数多くの魔法ルーンが、連ねられている: 勝利祈願として剣に刻む《勝利のルーン》シグルーン sigrrúnar [*単数形は -rún。女性の愛をわがものにせんとするなら、角杯に刻む《麦酒のルーン》エルルーン ölrúnar か、手の甲や爪に記すルーン。 助産に関わる者の手のひらに記す《安全・護身のルーン》ビャルグルーン bjargrúnar 。 荒海からの護身に、船首や舵に刻む《大波のルーン》ブリムルーン brimrúnar 。迅速で順調な快復をうながすには、樹皮・木材に刻む《大枝のルーン》リムルーン limrúnar 寄合会議シングで雄弁をもたらす《弁論のルーン》マールルーン málrúnar 。 理智をさずける《知覚のルーン》フーグルーン hugrúnar。 この詩は、魔術という行為が、すなわち呪歌を唱えたり魔法文字を記したりを意味することを、明確にしている。 『エギルのサガ』の一挿話をみれば、こうした処方や魔術符号の威力を、人々はいかほど絶大に信じきっていたかを、うかがうことができる。 エギルに害なす腹づもりの女王グルンヒルダは、その手段として宴会で毒を盛った麦酒エールを勧める。 しかし、その飲物があやしいと感じとったエギルは、角杯にまずルーンを刻み、ついでナイフの切っ先で手のひらをぷつり と刺し、その血でルーンをもう一度なぞりかえした。すると角杯は砕け、毒酒は床に撒き散らされたという (3) 。 しかし、呪術の実践には、細心の注意を払う必要があり、なまじ不手際者がおこなえば、非常な危険をともなうと考えられていた。 そのことは、同サガの別箇所で触れられている。エギルがノルウェーを旅していた時、 ある郷士の娘が重い病に臥せていた。娘の両親は、近所の若い田舎者に頼みこんで、 治癒のルーンを刻んでもらったのだが、病状はかえって悪くなるばかり。 エギルは、娘が寝ているベッドを調べ、ルーンの彫られた鯨骨が、頭下に敷かれているのを 発見する。 ルーンを読んでみると、どうも正しくない。エギルは鯨骨の文字をそぎ取って、削りくずを燃やし、 新たなルーンを刻むと、それを娘の枕下に置いた。すると、娘は眠りから目覚めたかのように瞼を開き、 健康を取り戻したという (4) 。 概していえば、異教の時代には、呪文やルーンの心得があることは、(忌むべく目的にさえ 利用しないかぎり)けっして嫌忌されることではなかったのである。
《セイズ》 seiðr (seyðr とも) という語は、 sjóða 「煮えたぎる」、「沸騰する」と同語源の言葉らしく、とするならば、 魔力を帯びたと信じられる物具を「煮る」ことによって実践される魔術・魔法を意味したはずだ。 その物具が何であったかは、もはや不明であるが、当然ながら、秘伝を授かった者だけの秘密だったろう。 魔術の実践にあたっては、様々な状況に注意を払わねばならなかった。たいがいは夜間におこなわれ、術者は 《魔女の座セイズヒャル》 (seiðhjallr) と呼ばれる高座の台の上で術をとりおこなう。施術には、魔法の歌や呪文も関わっており、その歌の調律は、聞く耳に美しい音色であったという。 『ラックサー谷の人びとのサガ』に、この種の魔術の実演が描写されている。 アイスランドの首領フルート・ヘリュールフソンは、親族の男 ソールレイク・ホスクルドソンとの確執があった。 ソールレイクは、フルートになんとか危害を加えようと、魔術にたけた雇人コトケルと妻グリマを 利用した。 「コトケルとグリマは、その夜更けにフルートの家へ行き、大いなるセイズを設けた。 《術かけの謡》セイズレーティンが始まると、家の者には、それがいったいに何を意味するのか、まるで測り知れなかったが、しかし聞きひたるに、さも美しい歌ではある。 歌の正体を知るのは、フルートただ一人だった。フルートは家人に、その夜は家の外を見るなと禁じ、 また、こらえられるかぎり、目を覚まして起きているように、と言いつけた。さすれば、誰も危険に及ぶことはない、と。 しかし、皆は眠りこけてしまう。いちばん長く目を覚ましていられたのはフルートだったが、 ついには彼も眠りにおちいってしまう。 フルートのの息子カーリ(当時12歳)は、彼の子供の中で最も有望なで、 父親のお気に入りでもあった。術の的になっていたのは、この子であった。彼だけはどうにも寝付かれない。 だんだん、いてもたってもいられなくなる。しまいには、カーリは跳び上がりざまに、外を見てしまう。 そして、すーっと引き寄せられるようにして魔法陣に近づいたとたん、ばったりと転倒し、 すでに息はなかった。」 フルートはそののち、コトケルとグリマを石打ちの刑に処すことで、息子の死に報いた。 (5)
      セイズと呼ばれる魔法をもってすれば、術者は嵐やさまざまな災害を呼びさまし、 動物に姿を変え、きたる出来事を予言することができたと信じられていた。 この術は、ほとんど危害を加えるために用いられたようで、祈祷(ガルド)よりもはるかに唾棄すべき行為 とみなされていた。 その起源は女神フレイヤに帰すとされ、たいてい魔女セイズコナ(seiðkona [単数形]seiðkonur [複数形])と呼ばれる 女性たちによって実践されたらしい。 異教の時代において、このセイズがいかに多くの者らから忌み嫌われていたかは、 ハラルド美髪王が、その王子ラグンヴァルド・レッティルベイン をセイズ魔術にたずさわったかどで起訴し、死刑宣告したことからも窺える。 (6)
      古代のサガの中には、上記のどちらの大分類にもはっきりとはふるい分けされずに、 言及されている魔法の例も数多いが、多かれ少なかれ関連はしていたに違いない。 そうした魔法の最もたるもの例をここに挙げてみよう。
      幻術シヨンフヴェルヴィング (sjónhverfingar = sjón 「視覚」 + hverfa 「ひねる」)は、 魔術でもって、見る者の目を見えなくし、物体をその実体とはまったく違うものに見せかけることである。 古いサガにおいて、この種の魔法は、術者が追われる身の者を追っ手からかくまったり、 敵を怖気させたりするのに用いられた。 そうした例だと、追跡の手の者は、追っている人物を目前にしているはずが、 そこには動物や、棺おけや、その他の動物・無生物しか見えていなかった、と述べられている。 一方では、追いつめたはずの人間のもとに多勢の援軍がかけつけたり、そこには牛や羊の群しか いないような錯覚を起こしたりもする。 術者はまた、第三者ではなく、自分自身を守るためにも、このまやかしの術をもちいられるとされた。 だがもし追っ手の者が、獲物の代わりに見えていた物体を破壊するか、代わりの動物を殺すか すれば、またたくまに幻は晴れ、元どおりの姿で死んで横たわる逃亡者を目にしたという。 しかし一部には、生まれもって強い耐力がそなわっていて、この種のまやかしにはかからない者も いると信じられていた。 (7)
      サガの中でしばしば言及され、上記の幻術と関わりの大きいものに、 透明化/姿隠しの術がある。これは、術者が自分または任意の人間を、他人の目に見えなくする術である。 その行為は、自分あるいは他者のための「隠れ兜を作った」(gera huliðs-hjálm)と表現されることがある。 また、こうした透明化は、一種の魔法の粉(外見は灰に似る)によってもたらせられる、とも伝えられることがあった。
      実際、変身(とくに動物の姿に)ということが[この世に]可能であると、 ごく一般的に信じられていた。変身は、他者にきたして、これに危害をもたらそうとする場合もあった。 魔法にたけたフヴィータ女王については、こう語られている− 女王は、継子の息子に愛を拒絶され、憎悪のあまり狼皮の手套のひとさすりで、熊に変えてしまった (8)、と。 あるいは、術者がおのれとその姿を纏う場合は、そうした魔法の形態をとることで、遠離な場所にも、 やすやすと速やかに移動できるとされていた。 この後者のタイプの変身術の例がもっとも多くみられるのは、サガのなかで、この術をもちいた交通手段の ことを《変身の旅》ハムフォール hamför《獣乗り》ガンドレイズ gandreið 、あるいは、 《獣乗りの旅》アト・レンナ・ゴーンドゥム at renna göndum などと呼んでいる(9) 。 このとき、元の人間の体は、あたかも死んでいるか、魔法の眠りについたように横たわっており、 抜けた魂のみが鯨、あざらし、隼(ハヤブサ)、そのほか、憑代よりしろとしてもっとも適した動物に宿り、魔法の旅にでてまるで別の地を放浪するのだとされていた。 そのとき、術者の名前を口にしたり、眠る身体を起こしたりしてはならない。もし、それを すれば魔法がとけ、魂は、もとの宿り場所に帰らざるをえなくなる。 もし、その姿になりすました皮膚ハム hamr 憑代よりしろに、なんらかの危害がくわえられたなら、それは本体に影響した。 こうした魔法の飛翔術を実践する女性のことをハムフレイパ hamhleypa と呼んだ [複数形 ハムフレイプル hamhleypur 。「魔女」、「ラミア」の意。 hamr「かりそめの姿 (皮)」+hleypa「走る」から]。  また、なかには夢魔ナイトメア (マラ mara、 またはクヴェルドリーザ kveldriða )に変身できる女性もおり、睡眠中の者を窒息させたり、夜間になんらかの 危害をくわえられる、と信じられていた (10)。 最後に、二人の人間が、外観上入れ替わる(skipta litum)(**)ことも可能であると認められていた。 しかし、いかに変身しようとも、人間の魂を映しだす目もとだけは、不変のままであるとされていた。






脚注
(1). フョルキュンギ fjölkyngi (フョルクニグ fjölkunnigr) は、語源が fjöld 「多数」、 fjöl 「多く、多数」 (独 viel) + kunna 「知る、できる」 で 、要するに多種多様な知識である。 つまりは、魔術そのもの、あるいは魔術の能力をさした。 ゴールニンガール görningar (単数形 ゲールニング görningr)は göra 「する、つくる」に由来し、 本来は行動・実行を意味するが、 転じて、すなわち魔法、魔術となる。 [Back]
* Cleasby-Vigfusson 辞典を引くと、ゲルニングは görning で出ており(görningr は異綴り)、一次的な意味は「行為、行動」で、「魔法」としてもちいるときはかならず複数形 ("always pl., sorceries, witchcraft")と説明している。










(2). このたぐいの呪文はヴァルガルド valgalldr と称した。おそらく、 戦中に倒れた者(valr)にたいして、主に使用されたからだろう。 [Back]

























(3). 『エギルのサガ』 44章[Back]

































(4). 『エギルのサガ』 75章 [Back]










(5). 『ラックサー谷の人びとのサガ』 37章 [Back]










(6). スノーリ著「ハラルド美髪王のサガ」 36章 [Back]




















(7). 『ホルズのサガ』 、『『エイルビッギヤのサガ』ほか。 [Back]













(8). 『ロルフ・クラキのサガ』 20章 [Back]





(9). 《変身の旅》ハムフォール hamför は、ハム hamr 「外向きの形態」に由来し、 別の姿になりすました旅を意味する。 ガンド gandr とは 「狼、竜、特に魔獣」であり、《獣乗り》ガンドレイズ gandreið はそうした獣に乗ること、《獣乗りの旅》レンナ・ゴーンドゥム renna göndum は、そうした獣に跨がって旅することを意味した。
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(*)訂正:ここはかつて憑代ハム としていた。 これは英文で "assumed form" 「かりそめの姿」とあるのを訳したまでだが、いささか誤訳である。Cleasby-Vigfussonで引くと定義は「(特に鳥の羽をむしった後の)皮」である。問題は「憑代(よりしろ)」にすると何か動物に乗り移ると勘違いされがちで、ここでは器物に憑依することをはっきりせねばならない。また「のりしろ」と記していたのも「よりしろ」の間違い。

(**) この skipta litum は、直訳だと「変わる+色を」の意味。










(10). そうしたことをしでかす女性への罰は、『ノルウェーの古法典』 I., p. 403 に確立されている。 [Back]
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魔法の催眠には、上に挙げたもののほかにも、もうひとつ種類があって、それは魔道士が その身体を横たわらせるあいだ、その魂が仮りそめの姿をかりて浮遊するというものである。 そして、術者が催眠棘 svefn-þorn で相手をちくりと刺せば、 他人にもこの[幽体離脱]状態をひきおこせると考えられていた。棘が術にかかった人間の身体に置かれているか、 その衣服にまとわりつくかぎり、この魔法の眠りから解き放たれることは不可能であると信じられた。
魔道士のなかには強大な力をその目にやどす者がおり、一瞥をくれただけで合戦中に剣の刃の向きを変えたり、 ひと目みて大地を震わせ揺るがし、草を焼き焦がし、敵を正気を失うほど恐怖させ、狩られる野獣のごとく逃走させたり、けだまのに変身させたり (古ノルド語で verða at gjallti 「豚になる」)。 この術をもっとも効果的にするためには、自分の体をもっとも不自然な体勢に曲げなくてはいけなかった。その姿がさらにおどろおどろしくなるように。成功するか否かは、術者が敵を見つけることのほうが先だったかどうかが決め手になる。もし逆に(敵に先に見られてしまったら)、術はまったく効果を失う。『ヴァトン谷(みずうみ谷の人々のサガ)』では、 アイスランドの魔女 リョート Ljót が、この種の魔法を手がけていることが描かれている。彼女の息子フロッルレイヴ Hrolleif は、ホヴのインゲムンドというという首長を殺害した。インゲムンドの息子たちは、父の敵を討とうと、そのつもりでリョートの住まいを訪問する。そこに着くとちょうど魔女が息子の加護のための生贄をととのえるのにいそしんでおり、フロッルレイヴが母屋を出て犠牲をおこなう室に移ろうとしたところを、まんまとふんづかまえた。そいつを殺そうと準備しているところを、一同のひとりが、その気味悪いこときわまりない格好でリョートがこちらに近づいていることに気づいた。彼女は片方の足を頭上にほうり上げ、片足と片手で後ろ向きに歩いてきて、顔は背後に突き出ているのだった。その目はおぞましく悪魔のようだった。しかし、この姿を見たからとて、兄弟たちはフロッルレイヴを死を与えることやめることはしなかった。リョート自身もすぐさまひっ捕らえられた。彼女は、その風体で近所一体を行歩して、インゲムンドの息子たちの正気を失わせ、野獣にいりまじり街道を狂奔させるようにしむけるつもりだったと白状した。そして、もし彼女が先に彼らの姿をむることができたならば、実現したのだという。しかし彼らについた守護霊は、いまや彼女を圧倒して強かったのだ、と。 そして彼らはリョートにも死をくれてやったのである。 (11) アイスランドの首長オーラヴ・パー が、スティガンディStigandiの寝込みを襲ったとき、その頭になにか獣皮をかぶせて、目を覚ましても誰にも危害をくわえられないようにさせたという。しかしその皮に小さな穴が開いており、スティガンディは、向って前にある、美しく草で覆われた山肌にその視線を投げかけた。するととたん、その一点から旋風が暴走し、地面をひっくり返し、それ以来、その場所は草が生えなくなってしまった。スティガンディは、オーラヴとその手のもの共らによって石打ちの処刑にされた。 (12) 魔女として名高いグンヒルダ(のちのエイリーク血斧王の后)も、あらかじめ同じような用心をしてから、彼女に魔術の教育をほどこした二人のフィン人[の師]の裏切りに転じている。彼らが怒れるとき、その凝視の鋭利さは大地をちぎらんばかりであり、その目に触れれば、いかなる生きものも倒れて絶命したという。グンヒルダは、アザラシの皮を二枚、彼らの頭にかぶせてエイリークの手下に殺させた。 (13)
魔法の食物や飲料も、古エッダの詩やサガのいたるところで触れられている。そうした食物や飲料をもちいれば、人格を変えたり、勇気や獰猛さをふるいたたせたり、忘却を誘発させたりできる、と信じられた。 特定の強い野生動物(たとえば狼など)は、その肉、特に心臓や血液を食せば、人間を大胆で残忍にすると考えられた。 魔法の飲料を得るためには、北欧人は、迷信により魔性の力が帰属されているさまざまな原料を調合した。ルーン文字ももちいられた―これは魔法の呪文として薬液に唱えかけられることもあれば、木片や骨片に刻まれて中にほうりこまれることもあった。魔法の飲料といえば、しばしば毒薬を意味した。
魔法の衣服や甲冑の信仰も、やはり横行していた。衣服に呪いをかけるのは、着用者を怪我から保護するためでもあったし、その者に危害や死をもたらすたそうとする場合もあった。ソーレル・フンドという首長は、フィン人につくらせたトナカイのフロックコートhreinbjálfar を何着ももっていたという。そのコートにはどんな武器も効き目がなかったという。スティクレスター Stiklestad [現代ノルウェー語] 〔* スティクラスタズ Stiklestað [古ノルド語]の戦いで、このフロックコートは、オーラヴ聖王が肩めがけて切りつけた剣〔* フネイティル Hneitir という〕から身を守ってくれている。「剣は噛まず;まるでトナカイのコートに埃をたてただけのようであった。」 (14) オークニー伯爵のハラルド・ハーコンソンが死んだのは、自分の母と姉妹が、じつは異母兄弟パール伯爵に着せるためにこしらえた衣服を身にまとったせいだと書かれている。(15) 剣が魔性のものであることもある。合戦でそのような剣を使う者には必ず勝利がもたらされたし、そうした剣から受ける傷は、剣に付帯する「生命の石ライフストーン」(リーヴステイン lífsteinn) に触れさせなければ、けっして治癒できないのだと説明されている。こうした魔性の剣を使う際は、多くの手順どおりにしないと、本来の効き目があらわれない。例えば、有名な剣スケヴヌーング(=スコヴヌング)Sköfnúng フロフ・クラキ〔* デンマークの伝説的な英雄王〕の墳墓から取得されたが、女性の前では抜いてはならず、柄に陽の光をあててはならなかった、そうしないと、その特性がいくばくか失われるのである。 (16)
魔術にたけた女性は、合戦に出向く人間の体に手をかざしてゆききさせ、 もっとも傷を負いそうな部位がどこだか判じようとしたという。彼女らには、 危険な部位になんらかの突起を感じることができると考えられていた。そうした場所に、 保護の薬(治療)を施すのである。もしそうした突起が感じられなければ、なんの危険も 恐れることないと考えられた。
奇妙な種類の魔法に、「戸外座りsitting out」 (útiseta, at sitja úti) があるが、これは術者が露天の夜空の下で座り込み、 いまでは知ることのできない魔法の作法により(あるいは呪文(ガルド)をとなえることによって)、 邪悪の精霊を召喚させたり(トロルの覚醒 vekja upp troll)、 死者を目覚めさせて相談をあおいだ、などと信じられてきた。 この種の魔法のにうったえるのは、特に未来の伺いを立てたちときだった。 死者への喚起は、この目的だけでなく、自然な方法では解明がむつかしいとされた事柄についてはっきりさせるためにも使われたことは、『フェロー諸島の人々のサガ』にも説明がある。 フェロー諸島に住む狡猾なゲトゥのトレンドゥル[フェロー読み]〔* =スランド [アイスランド読み] は、本心は根っからの異教徒なのに、キリスト教の洗礼を受けることを余儀なくされていたが、名高き英雄シグムンドゥル・ブレスティッソンの死に様について知りたくなった。自分が追っ手をかけたせいで、二人の連れと共に泳いで逃げようとして溺死したのか、それとも上陸はしたが、そこで殺されたのか。 このため、盛大な火をともしたなかで、まわりに正方形の枠組みをつくり、その囲いのひとまわりに、 九つの「レイトreitar (*)を地面になぞった。そして外枠と火のあいだにおいた椅子に自分が座り、傍観者には言葉を禁じた。 そうやってしばらく座っていると、シグムンドゥルの二人の同伴者の霊が現れた。ずぶぬれだった。 霊たちは火に近寄り、暖をとりはじめ、やがて消え移った。ようやくシグムンドゥル自身がやってきた。 血みどろで、自分の首を手に抱えていた。 その地面にしばらく立っていたが、やがて室を出た。 トレンドゥルは、疲弊から声をうならせながら起ち上がった。そしてシグムンドゥルの従者たちは溺死だが、 シグムンドゥル自身は陸にたどり着き、そこで非業の死をとげたものと納得した、と宣言したのである。 (17)
魔道士はまた、特定の動物から大いなる援けを得るものと信じられた。よって、鳥のさえずりを 理解する術によって、なにか重大な発見をした、というふしにふれられることも多い。これにこと関しては、カラスは重大な意味合いをもつ鳥類であった、また、ワタリガラスがそうであったことは、主神オージンに報せをもたらすワタリガラスの神話からも推察できる。猫もまた、魔道士がとくにこのんだとされる動物である。魔術にたけた「みずうみ谷」のアイスランド人、「大槌の」ソーロルヴ Þórolf[u]r sleggja(**) は、20匹をくだらぬ 巨大な黒猫を飼っていた。ホヴ庄のインゲムンドの息子たちIngemundarsonar [af] Hofi に襲われたとき、猫たちは果敢にご主人を守り、十八人の総勢の手を焼いた。(18)
北欧人社会で、自然の及ぼす力についてのごく普通な知識〔* ひらたくいえば科学を、人並み以上に蓄えている人間が、同時代の迷信深い人間に自分は魔術が達者であると信じこませた事例はことかかないが、はるかな太古の頃から すでにフィン人[フィンランド人]が、魔術の最高の達人マスターたちであると目されており、その術を極めたいと思う北欧人は、正式に彼らに師事したのである。有名なグンヒルダ王妃が、若き頃に魔術を習うためフィンマークに送られたのも、その一例とできよう。大事な魔法の作法をとりおこなうときは、 たびたび魔術にたけたフィン人が喚問されたり、相談に諮られたりした。特に、いわゆる 《形態転換による魔法飛行》ハムフェール hamfarar [複数形](***)のとき、その妙技を発揮したと目されていた。
異教の時代、魔道士が告訴されることも多く、裁判にかけられ、法判決にともない実刑執行となったりもした。 しかしこれらはじっさい、魔法を使ったというかどで咎められたのではなく、魔法をもちいて危害を加えたことが有罪立証できると思われたからである。性悪な魔法使いや魔女は、石打ちの刑に処すのがどこでも慣わしだった。
そもそも深く根ざした北欧人の魔法信仰を、キリスト教が一挙ゴボウ抜きに排除することなどできようはずもなかった。しかも初期のキリスト教の伝道師たちのみならず、中世をつらぬきとおして僧侶階級が、異教徒同様に魔法というものの存在を信じきっていたのである。ただ唯一の違いといえば、キリスト教の伝道師が魔法を邪なるもの、悪魔の所業と見て、魔法は阻止すべく励まなくてはならない、そのためには苛烈きわまる手段にうったえることも辞さない、と考えていたことだ。それとは対照的に、アーサ神族の信仰では魔法は神々みずからが人間に授けた知恵であるとし、それが知恵なのである以上、それが濫用された場合にかぎって刑罰に値すべし、としていた。キリスト教伝道師が魔道の存在を信じていたこと、またその根絶にいそしむ熱狂ぶりは、古いノルウェー教会法典にみつかる魔法にたいしての罰則法令らが、ありあまる証拠を提供している。 しかし、教会がどんなに厳しく禁じようと、それでも魔法の実践をつづける北欧人は多く、アーサ信仰が崩落した後でも、魔道は長らく研鑽するに有益な技術とされてきたのである。





脚注






























(11). 『ヴァトン谷(みずうみ谷の人々のサガ)』[Vatnsdæla saga] S. 26; compare Gullþóris Saga. [Back]







(12). 『ラックサー谷の人びとのサガ』第 38 章. [Back]






(13). スノーリ『ヘイムスクリングラ』「聖オーラヴのサガ」第 34 章. [Back]


















(14). スノーリ『ヘイムスクリングラ』「聖オーラヴのサガ」第 204, 240 章 . [Back]

(15). スノーリ『オークニーの人々のサガ』[Orkneyinga saga] p. 144. [Back]








(16). 『ラックサー谷の人びとのサガ』第 57 章[Back]
























(*) 単数形は reitr 。「花壇やチェスの五目盤などで、正方形や区画が描線(しるし)されたもの」







(17). 、『フェロー諸島の人々のサガ』[Færeyínga] 第 40 章. [Back]






(**) Keyser は誤って "Thorolf Skeggi" 「あごひげの」ソールオルヴとしているので、 訂正した。


(18). 『ヴァトン谷(みずうみ谷の人々のサガ)』第 28 章. [Back]











(***) 上の文章では、hamför [単数形]として既出で、脚注で"journey in an assumed form"あり、《変身の旅》と訳した。こちらでは"magic flights in transformation"(《形態転換による魔法飛行》)と説明され、付記された北欧語が複数形になっている。


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