『ニーベルンゲンの歌』 関連 クリッカブル・マップ[β版]

* 和名は岩波訳に基づき、英名は OMACL のオンライン文庫に収容されている Shumway 訳 を 主とするが、Everyman's Library 版(Margaret Armour 訳) も一部掲載した。 中期高地ドイツ語は、B写本(岩波訳の底本)が主であるが、ところどころ C写本にも言及している。 引用箇所の記述 39: 2379 は 第39 詩章、 2379 詩節 (岩波訳 または B 写本)の意。 当リストは、次にあげる産地名は除外している―アラビアのスカート(9:576)、アラビア織の..衣装(14:833)、 アツァガウク(の絹の陣羽織)(7:439)、アルラス[アラス織のこと](30:1825)、リビア(6:364, 7:429)、 モロッコ(6:364)、ニニフェ(14:850)、ツァツァマンク絹(6:362 )。

地名・部族名

町名一覧



アルツェイエ

Alzey(e) [独]; Alzeye [中期ド]; Alzei [英]
フォルケールの出身地。
現今のアルツァイ Alzey は、ライン地方のマインツの南西 30 km (ウォルムスの北西 20 km )。
(1:9,) Map: B3

イースラント
Isenland[Island] [独]; îslant [中期ド]; Isenland, Issland [Everyman's], =Iceland [英]
海のかなたにある(326行)プリュンヒルトの治国。首都はイーゼンステイン。名前としてはアイスランドにも似ているが、ネーデルランドのアイセル湖(別名ゾイデル海, Map: B1)にあった島国か?との考察もあるようだ。
(6:章の題名, 7:418, 9:550, 10:580,607)

イーゼンステイン
Isenstein [独]; îsenstein(e) [中期ド]; Isenstein [英]
プリュンヒルトの居城、すなわちイースラントの国都。 『サガ』ではゼーガルト
(6:382-4, 7:476) Map: —

イン川
Inn, der [独]; In [中期ド]; Inn [英]
オーストリアの川。ちょうど国境のパッサウでドーナウ河と交流する(1295)。[*インスブルックという町は「インの橋」の意。]
(21:1295) Map: (D4)

ウィーン
Wien [独]; Wiene [中期ド]; Vienna [英]
オーストリアの都(stat)。クリエムヒルトがエッツェル王と再婚される縁談をもって西へゆくリュエデゲールは、王都(エッツェルンブルク)から、ここ(1162)を抜けて自国ビッヒェラーレンに至る。また、東にむかうクリエムヒルトの一行が、出迎えに来たエッツェルに同伴され、オーストリアのトゥルネからここに着いて(1361)、聖霊降臨祭(pfinxtac/Pfingsten)を迎え(1365)、17日間の祝宴を過ごし、18日目にハイムブルクに向かった(1375) 。
(20:1162,64; 22:1361-75) Map: E4

ウォルムス
Worms [独]; Wormez, Wormze [中期ド]; Worms [英]
ブルゴント国の王都。ライン河の左岸にある。
→ブルゴントの国
(1:6等31回) Map: C3

ローマ時代 (紀元前)の頃、この町はボルベトマーグス* と呼ばれ、 もとはケルトの集落だったことを伺わせる。 しかしカエサル帝政時代以前に、そこは ワンギオネス*族の住地となっていた。 ゲルマン民族大移動の時代になり、ローマ帝国は、この町(当時"Augusta Vangiorum" や "Civitas Vangonium" と呼ばれたらしい)から住民を追い出し、412-3 年に、ブルゴンド族をここに定住させ、 グンディカリウス王すなわち物語のグンテル王の支配下に おかせた。 ところが 436 年、この町はフン族の侵略を受けて壊滅的打撃を受ける。
486 年、クロヴィスI世が町を再建したときにウォルマティア*と命名。これはゲルマン語で"竜"を意味する語から名づけられている。以降、ウォルムスと呼ばれるようになったのが現在に到る。


エッツェルンブルク
Etzelburg [独]; Etzelnburc [中期ド]; Etzelburg [英]
エッツェルの城下。後世においては、現今ハンガリーのブダペストの右岸あたりと同一視されるようになったという。右岸にはもともと旧ブダ Buda (独 旧オーフェン Ofen は「炉(オーブン)」の意)と旧オーブダ Óbuda (独 旧アルト=オーフェン)があり、これらと左岸のペシュト Pest が、1873年に統合されたブダペストとなった。
(22:1379) Map: F4

 ブダペストの歴史は古く、もとはローマがパンノニア州の属州化を手がけたとき(前35年頃〜)、設立した アクウィヌム*という町である。 のち下パンノニア州の首邑となり、ハドリアヌス帝*の紀元124年、《都市》ミュニキピウムに昇格、セプティミウス・セウェルス帝*の194年に《植民地》コロニアに認定される。
 そして452 年頃、アティラのひきいるフン族が、ブダペストを本拠地にしていたのは史実であるようだ。ハンガリー最古の史書、自称アノニュムス* 著の『ハンガリー人の事蹟』*(1200年頃)では、この本拠地をドナウ西岸のシカンブリア*と称しているが、これは地理的条件から見てアクウィヌム/ブダペストのことだと推定することができる。
 同書によれば、ハンガリー人の祖は、スキュタイ系の民族で、ヤペテの子マゴグ[『創世記』]の後裔だとする。マジャール人の名は、この始祖マゴグの名をとってつけられたという。
 さらには、アッティラもまたヤペテやマゴグの子孫で、パンノニアからローマ人を追放して建国し、王都ブダを築いたが、「これは、現今ハンガリーの言葉でブダヴァル* と、そしてドイツ人によりエツィルブルク* と呼ばれる」場所であるとしている。
 何年も後、アッティラ王家の血をひくアルムス* (860-895 年頃)なる人物が、聞きしに及ぶパンノニアをめがけてハンガリーの民を率いるが、志なかばで死んでしまう。その遺志をつぐ息子アルパード公*が、ついにパンノニア(ハンガリー)入りを果たし、エツィルブルクを征服する。その都市の石造の建物に目を見張り、アルパード公は、アッティラの王宮にみずからをすえて連日、宴をひらいて勝利を祝った。
 この自称アノニュムスの資料は、フン族と同盟関係にあった東ゴートの資料が主であったため、アティラに関してはその良い面しか知らなかったようだ。ところが、だんだん被害者側のフランス・イタリアの資料がハンガリーにも浸透してきて、アティラの悪逆非道ぶりも知れるようになる。
   そこで、1280年代に、ケザのシモン*が新たに著した『ハンガリー人の事蹟』*では、アティラの家系は途絶えてしまったとし、アルムスやアルパド公の公家とは、きっぱりと血縁を否定する。

 異説ではエッツェルンブルク=すなわちグラン(エステルゴム)という。だが史実に照らせば、グラン(→参照)が都市であった歴史は浅い。   C写本では固有地名でなく「エッツェルの都(ブルク)」という表現がつかわれる。


エフェルディンゲン
Eferding [独]; Everdingen [中期ド]; Efferding [英]
クリエムヒルトがエッツェルに向かうとき通りすがった町。ドナウ湖畔、リンツの約20km西にある、現エフェルディンク Eferding。
(21:1302) Map: D4

エルベ河
Elbe, die [独]; Elbe [中期ド]; Elbe [英]
エルベ河。物語での場ではなく、「エルベから海にかけて」という表現に使われる。
(20:1244) Map: (C1 - D3)

エンゼ川
Enns, die [独]; Ense [中期ド]; Enns [英]
ドーナウ河の支流(1300)。現今のエンス(註)。そのほとりの野辺で仮小舎や天幕(テント)を張って、リュエデゲールがクリエムヒルトの一行を供応した(1304)。リンツ市の15kmほど下流でドナウ河と交差。
(21:1301, 1304) Map: E4

オーストリア
Österreich [独]; Ôsterrîche|Ôsterlant [中期ド]; Austria [英]
バイエルンの東の国。国境にパッサウがある。ここからドーナウ河を下れば、東のエッツェルの都にたどり着く。
(22:1336, 27:1714 (22:1341)) Map: C4 - E4

(オーテンの森)
Odenwald [独]; Waskenwalt [中期ド]; Odenwald [英]

キエウェン
Kiew [独]; Kiewen [中期ド]; Kiev (land of) [英]
キエフの国。現ウクライナの首都。
(22:1340) Map: —
Esztergom
グラン
Gran [独]; Gran [中期ド]; Gran [英]
グランというのは古いドイツ名で、現ハンガリー領エステルゴム Esztergom [独,洪])。かつての王国自由都市。
 ブルゴントに招待状をとどけた楽士の使者スウェンメルとウェルベルがここにてエッツェル王の応接を受けた。 また、グランスポルト(グロンスポルト)は、『シドレクス・サガ』においてシドレクスがエッツェルに兵を借りて決戦を敷いた場所であることは興味深い。(中世ドイツ詩では戦場はラーベンという名であり、ふつうイタリアの港町ラヴェンナに比定される。)
 エステルゴムという重要都市の成立は、史実のフン族アッティラが活躍した時代(5世紀)よりもずっと後世で、 ハンガリー王国の創立と前後する(11世紀初頭)。しかし、この王国をうちたてたマジャール系の公家は、 従来アッティラの末裔を名乗っており(→エッツェルブルク)。 そのことから、(マジャール系)ハンガリー人とフン族はおおむね同一視されていたのである。
(歴史)
 エステルゴムが町としてひらけたのは、8世紀とのことであり、シャルルマーニュがアヴァール族をこの地から追放しようと遠征に出た頃を境にできたと思われる。
 9世紀頃、マジャール族のアルムス公*Almus [Álmos] (860-895 年頃) ・アルパード公*Arpad [Árpád](ca. 915-949 年頃)の父子がこの地に、侵入し、ブダペストを占拠した。
 かれらは、カロリング王朝に臣下の礼をとり、この地に封ぜられる歴代公家であり、独立王国ではなかった。
 960年に、このマジャール系のゲーザ 大公 *Gézaが、 公爵宮廷をエステルゴムに転居させた。
 ゲーザの子は、幼名をヴァイク*Vajik(チュルク言語で「勇士、主君」) と称したが、これがのちのステパノ/イシュトヴァーン聖王*István (965-975頃生)で、ハンガリーの初代王である(在位 1001-38年)。
 イシュトヴァーン王は、国をキリスト教に改宗し、宗教の中枢・大司教区にエステルゴムを選ぶ。 この都市は、ストリゴニエンシス*Strigoniensis というラテン名を持つが、 ローマの植民の名残ではなく、カトリック大司教区に指定されたゆえんらしい。
 この初代以降の歴代ハンガリー王は、このエステルゴムにも宮殿を構えたが、もうひとつ重要な 都市がある。それは、セーケシュフェヘールヴァール*Szekesfehervar[Székesfehérvár] (独 シュトゥールヴァイセンブルク*独 Stuhlweissenburg, 羅 Alba Regalis/Alba Regia)で、 イシュトヴァーンはここの宮殿を第二の住居とし、ここで没した。以降、歴代王の戴冠式がおこなわれる土地、そして埋葬の地となった。
(24:1497) Map: F4

ザクセン
Sachsen Land [独]; Sahsen [中期ド]; Saxon land [英]
リウデゲールの治国。かつてのザクセンは、デンマルクの南の隣国[*現ホルシュタインを含むエルベ川流域]
(4:140) Map: D2 - C1

ザンテン
Xanten [独]; Santen [中期ド]; Xanten [英]
ジーフリトの出身地ニーデルラントの首都(20)。ここでジーフリトと妃クリエムヒルトの戴冠式がとりおこなわれた(708)。 [*現今はネーデルランド領ではなくドイツ領ノルトライン=ヴェストフェーレン州のクサンテン]
(2:20 11:708) Map: B1

シュワーベン
Schwaben [独]; Swâben; [中期ド]; Swabia [英]
フン国への招待状を携えた使者スウェンメリーンとウェルベリーンが帰途についたとき、そこまでの道中にゲルノートが臣下を供の者として同伴させた場所。[バイエルン国の南西の公国]
(24:1493) Map: C4

スピーレ
Speyer [独]; Spîre [中期ド]; Speyer [英]
スピーレ(スパイエル)の司教は、ブルゴント一行がウォルムズからフン国へ向けて出立する際、加護の祈りを捧げる(1508)。のち、船上からハゲネにドナウ川に投げ込まれる。
(25:1508) Map: B3

スペイン
Spanien [独]; Spânje [中期ド]; Spain [英]
ワルテルの出身地。
(28:1756, 97) Map: —

スペヒツハルト
Spessart [独]; Spehtsharte [中期ド]; Spessart (wood) [英]
ハゲネが、狩場を誤ってそこにぶどう酒を運ばせてしまったと言った場所(967)。ライン右岸の現今のシュペッサルトは、ウォルムスの東70kmばかりにあるので、日帰りの狩りにはいささか遠い。
(16:967) Map: C3 (拡大図を参照)
Schwanfeld
スワネフェルトの地
Schwanfeld [独]; Swalevelde [中期ド]; Swanfield [英]
ブルゴント一行の通過した土地。東フランケンからこの場所をぬけ(1525)、バイエルン国のドーナウ湖畔にいたる。古代、ドナウ川とレツァート川 Rezat[アンズバッハのある川]の間にあったズアラフェルト州 Sualafeld にあたる。 Map: C3(南)
* マイン川に沿ったシュヴァインフルトとヴュルツブルクの中間のシュヴァンフェルト市も候補を挙げている。 Map: C3(北)
(25:1525)

(ツェイツェンムーレ城)
Zeiselmauer [独]; Zeizenmûre [中期ド]; Zeisenmauer [英]
→トレイゼンムーレ城
(B写本 21:1332) Map: E4

テューリンゲン
Thüringen [独]; Düringen(4), Düringe(1) [中期ド]; Thuringia [英]
イルンフリトの出身国
(22:1345, 31:1877-8, 35:2031,2068,2074 ) Map: C2-D2

デンマルク
Dänemark [独]; Tenelant, Tenelender, Tenemarke, Tenen [中期ド]; Denmark [英]
詩の前半では、ブルゴントに攻め込もうとしたリウデガストの王国。後半では、エッツェルの宮廷に逗留するハーワルト公爵の母国。
(4:140-: 5:298-312 22:1345.31:1877) Map: C1,D1 よりさらに北
Tulln
トゥルネ
Tulln [独]; Tulne [中期ド]; Tulna [英]
オーストリアのドーナウ河畔の町。ウィーンの北西27kmほど。この地でクリエムヒルトは見たことのない習俗を知った(1341)。一行はここからウィーンへ馬を進める(1361)。
(22:1341) Map: E4

ドーナウ河
Donau, die [独]; Tuonouwe [中期ド]; Danube [英]
ドナウ河。クリエムヒルトの輿入れの一行は、この河に沿って、フェルゲン(1291)、パッサウ(1295)、トゥルネ(1341)等を通過した。ブルゴントの一行は、その河畔に達し(1525)。ベッヒェラーレンから岸沿い(1712)にフン国へと向かう。
(20:1288; 21:1291,95; 1320,29,41; 25:1525; 27:1712) Map: B4-F4-

トルーネ川
Traun [独]; Trûne [中期ド]; Traun [英]
ドーナウ河の支流(現今の発音はトラウン)(1304註)。上オーストリアの、リンツの約70km南西にある川。
(21:1304) Map: (E4)

トレイゼム川
Traisen [独]; Treisem [中期ド]; Traisem [英]
クリエムヒルトの輿入れの一行が通りかかる川(1331)。その川岸に、エッツェルの前妃ヘルヒェが住んでいたトレイゼンムーレという城があり(1332)、そこに留まってフン族の迎えを待ち受けた。
(21:1331-2) Map: (E4)

トレイゼンムーレ城
Zeiselmauer [独]; Zeizenmûre [中期ド]; Zeisenmauer [英]
トレイゼム川のほとりにあるフン族の城館で、かつてエッツェルの前妃ヘルヘェの住まい(1332)。クリエムヒルトの輿入れの一行がこの城に四日間逗留した(1336)。トゥルネより東に10kmで、方角的には東南にある現今のウィーン都心までドナウ河沿いで約25-30kmほど。 [*岩波訳は、定本のB写本 Zeizenmûre ツェイツェンムーレ城でなく、C写本 Treysenmûre を採用。現今のZeiselmauerツァイゼルマウエル。]
(21:1332 22:1336) Map: E4
Kirchheim
トロネゲ
Tronje [独]; Tronege [中期ド]; Troneg, [英]
ハゲネの出身地(治国)。現代だとTronje(トロニエ)(9註)と書かれる。 *英訳の電子テキストによると、ライン下流のローマの植民地"colonia Trajana"であるとし、Boer説は、もともとクサンテンにすんでいたのではジフリートではなくハーゲンだったという。  一説には、アルザス(エルザス[独])州の旧トロニア(Tronia)、現今のフランス領アルザス地方バ=ラン県キルヒハイム Kirchheim[F-67520]といわれる。 ( Map: B3) 異説には、トリールの以東20kmのタルファンク Thalfang [D-54424]( Map: B2南端)。いずれもウォルムスからは道程150kmほど。
(1:9他、73回)

ニーデルラント
Niederland [独]; Niderlande(n), Niderlant [中期ド]; Netherlands [英]
ジーフリト王子の故郷の国。父王ジゲムントと母妃ジゲリントが治める。首都はザンテン。クリエムヒルトはここに王妃として嫁いでいる。
 現在だとオランダの意味だが、歴史的にみると低地地方(ベネルクス三国と仏アルトワなどを含む地域)を指すので、地図表示では、現オランダと現ベルギーをまたがるように、すこし調整した。
(2:20 11:690-723 12:740-等) Map: A2-B1

ノールウェイ
Norweg [独]; Norwaege [中期ド]; Norway [英]
侏儒(こびと)のニーベルンゲン族の国で、ジーフリトとの諍いが起きた場所。[C写本には、この記述がない] ノルウェーのことであろう。
(12:739) Map: —

バイエルン
Bayern [独]; Beier, Beyer, Peyer [中期ド]; Bavarian land [英]
ドナウ河を渡河するとき、ブルゴント国の一行が通過しようとして渡し守を殺し、一戦を交える国。国主はゲルプラートで、その弟エルゼもその辺境地伯。
(25:1531,26:1586-1626) Map: B3-D3

ハイムブルク
Heimburg (=Hainburg) [独]; Heimburc [中期ド]; Heimburg [英]

ドーナウ河畔、ハンガリーとの国境付近の町で、エッツェルの生誕の地という(註)。現今のハインブルク・アン・デル・ドナウ Hainburg an der Donau[A-2410]。
(22:1376) Map: E4



パッサウ
Passau [独]; Pazzouwe [中期ド]; Passau [英]
司教ピルゲリーンが治める町。ドイツとオーストリアの国境の、イン川とドーナウ川が交わるところにある。司教の姪・甥であるクリエムヒルトの輿入れの一行(1298)や、エッツェルの宮廷にむかうグンテルらの一行(1627)もこの町で歓迎されている。
(21:1296-8 26:1627-9) Map: D4

ハンガリー
Ungarn [独]; Ungerlande [中期ド]; Hungary [英]
ブレーデリーン(エッツェルの弟)の領土。
(22:1373) Map: E5 - G4

東フランケン
Öst-Franken [独]; Ôstervranken [中期ド]; Eastern Frankland [英]
グンテルの一行が、ここを抜けてマイン河へ道をとったとあり、そこからスワネフェルトへ行き、ドーナウ河に到達している。 [*スペヒツハルト(現シュペッサルト)の森の東、フルダ、ヴュルツブルク、バルンベルグなどをふくむ地域。]
(25:1524-5) Map: (C2 - C3?)

フェルゲン
Vergen [独]; Vergen [中期ド]; Vergen [英]
ドーナウ河畔の町。クリエムヒルトの輿入れの一行が通りかかる。この名は「渡し守」の意だが、ここでは地名(実際、かつて渡し舟がおかれたという)。(参:エルゼの渡し守)(フェルゲンは現今のプエーリンク Pförring)
(21:1291) Map: D3(南西角)

ブルゴントの国
Burgunden Land [独]; Burgonde(n) (lant) [中期ド]; Burgundy [英]
グンテル、ギーゼルヘル、ゲールノートの兄弟が継いだ王国で、その妹(姉)クリエムヒルトの生まれ故郷。それらの母ある王太妃ウオテも健在だが、その夫、前王ダンクラートは故人。ライン川河畔のウォルムズが王都。
(138回) Map: (B3 - C3 ?)

ヘッセン
Hessen [独]; Hessen [中期ド]; Hesse [英]
ブルゴントからザクセンへ攻め入る途上の国。
(4:176) Map: (D3?)

ベッヒェラーラン
Bechlarn [独]; Bechelâren [中期ド]; Bechelaren [英]
リュエデゲール辺境伯が治める封土。ゴーテリント夫人や娘がいる。クリエムヒルトもグンテルの一行も、エッツェルの宮廷に向かう途中もてなしを受けた。 現今のドナウ河畔のポッフラルン(Pöchlarn)
(20:) Map: E4

ベルネ
Bern(e) [独]; Berne [中期ド]; Berne [英]
ディエトリーヒが治めていた国。
(多数) Map: C5

マイン河
Main, der [独]; Meune [中期ド]; Main [英]
ラインの支流。ブルゴントの一行が、東フランケンを後にしてからさしかかった。
(25:1524) Map: C3 - D3

ミゼンブルク
Misenburg [独]; Misenburc [中期ド]; Misenburg [英]
ハイムブルクとエッツェルンブルクとの中間にある町。ここでエッツェルの一行は船に乗った[ドーナウ河を下った]。(*OMACL版では、現今のヴィーゼルブルク Wieselburg 市とある。旧プレスブルク(現スロバキア領ブラチスラヴァ)[SK-810]の東南35kmほどにある旧ヴィーゼルブルク現ハンガリー領モションマジャロバール Mosonmagyaróvár H-9200。)
(22:1377) Map: E4(東端)

ムーターレン
Mautern (an der Donau) [独]; Mûtâren [中期ド]; Mautern [英]
現マウテルン。オーストリアの町。メデリッケの町よりも内地でドーナウ河とフラニッツ川との交差、シュタイン[A-3500]の向い岸にある。
(21:1329) Map: E4
Großmehring
メーリンゲン
Moeringen [独]; Moeringen [中期ド]; Moering [英]
エルゼに仕える渡し守が、渡し舟を経営していた場所。ここでハゲネに殺された。 [*現今のグロスメーリンク Großmehring (ドナウ河沿いにインゴルスタットの 8 km 東、プェーリンク の 11km 西)。] 『シドレクス・サガ』ではメール(Moere)の水のなかで乙女らが行水していたが、『歌』では泉となっている。
(26:1591) Map: C4(北東の角)

メッツ
Metz [独]; Metze [中期ド]; Metz [英]
オルトウェーン(ハゲネの甥)の治める地。[*メッツは現フランス・ロレーヌ地方の中心都市メス] [C写本には、一箇所のみ Mezzin(=Meizzen)と記される。]
(1:9,11, 3:81,116, 119, 20:1184等8回) Map: B3

メデリッケ
Medelicke [Melk] [独]; Medelicke [中期ド]; Medelick [英]
クリエムヒルトの輿入れの一行が通りすがった町。アストルトという城主がいる。 現在のメルク Melk にあたるというから、さすればベッヒェラーレン(現:ポッフラーラン)の東に約11km。メルクには有名なベネディクト協会の僧院がある。
(21:1328) Map: (E4)

ライン河
Rhein [独]; Rîn [中期ド]; Rhine [英]
ライン河。ウォルムスがその河畔にある。
(132回) Map: B1-C4

ローヌ河
Rhone, die [独]; Rôten [中期ド]; Rhone [英]
フランスのローヌ河。物語での場ではなく、「ローヌからラインにかけて」という表現に使われる。
(20:1244) Map: (A5)

ローヒェ
Loche [Lochheim] [独]; Lôche [中期ド]; Loche [英]
ハゲネがライン河に財宝をしずめた場所。 * C写本(1152行)では、ローヒェを「穴」とも解釈するようである。C写本にはロールスの僧院の記述がある。 *Piper によると、ライン州のロッフハイム Locheim という村だという(現存しないが、ウォルムスの20km北東北ほどのビーベスハイムとゲルンスハイムの間にあったという)。 後者の名は、『シドレクス・サガ』に登場する、ライン河畔にある「ゲリムズハイム(リムシュタイン伯や、ワルテルが継ぐはずの領地)」に似ていないだろうか。
(19:1137) Map: C3(拡大図を参照)
Lorsch
(ロールス)
Lorse [Lorsch] [独]; -- [中期ド]; -- [英]
B写本にはこの記述はなく、"loche"を町名ローヒェでなくライン川にある「穴」と解釈するC写本のみに、この町の名がある。修道院の所在地で、ハーゲンが財宝を沈めたところの場所。(C1158,61,62,64)
(C19:1158-64) Map: C3(拡大図を参照)

ワスケンの岩根
Waskenstein [独]; Waskensteine [中期ド]; Waskstone [英]
その昔、ワルテルが追っ手のブルゴント一族を、単独で次々と討ち取った場所。そのときハゲネはしばし攻めあぐねて「盾の上に坐って」いたろうと、そのときの度胸の無さをヒルデブラントがなじる(2344)。 [*しかし、ハゲネとワルテルは、共にエッツェルの宮廷で育ったいわば竹馬の友のよしみがあるから、躊躇も無理なかろう。また、このワスケンの岩根とはワスケンの森にある。]
(39:2344) Map: B4-B3

ワスケンの森(オーデンワルト)

Waskenwald/Odenwald [独]; Waskenwalt [中期ド]; Vosges forest [OMACL], Odenwald [Everyman] [英]
ブルゴント王族ら一同が狩りに行き、ジーフリトがハゲネに槍で刺されて殺された場所。 写本により、「ワスケンの森」[*現:ヴァスゲンヴァルト/現フランス領ヴォージュ](B写本911節)( Map: B4-B3)か、「オーテンの森」[*現:オーデンワルト](C写本;919,1013節)( Map: B3-C3)かの差異がある。 [ただし、この詩ではウォルムズからライン河を越えた向こう岸(右岸)の森ということになっているので、さすればオーテンの森ということにある。なお、ワスケンの森は、ワルテルがかつてブルゴントの騎士を次々やぶった場所として有名。(2344の註)]
(15:911)
-- 部族名 --


アメルンゲン
Amelung [独]; Amelunge [中期ド]; Amelung [英]
部族東ゴート族の異称と注釈にある。ディートリッヒが属する部族。
(28:1721)

ギリシア人
Griechen [独]; Kriechen [中期ド]; Greeks [英]
部族エッツェルとクリエムヒルトの婚姻に馳せ参じた部族。
(22:1339)

デンマルク人
Dänemark [独]; Tenemarken [中期ド]; Denmark [英]
部族前半ではリウデガストの郎党(4章)、後半ではハーワルトやイールンク、またその一族郎党をさす(35章)。
(4:, 35:)

トロネゲ人(出身者)
Tronjer(nen?) [独]; Tronegaere [中期ド]; Troneg (, men of) [英]
部族ハーゲンの統治するトロネゲ国の者。二君に仕えずとの気風があるので、グンテルの元を去り、クリエムヒルト直属となることは拒むと言う(699)。 また、岩波本では訳出されていないが、ハゲネを指していう(1560)
(4:234, 11:699 25:1560)

ニーベルンゲン族
Nibelungen [独]; Nibelunge(n) [中期ド]; Nibelungs [英]
部族当初は、侏儒(こびと)の王室の一族のこと。その国はノールウェイ(739)という。しかし、その財宝を有する王族がこの名を踏襲する。よって、後半ではブルゴント国の王室のグンテル、ゲールノート、ギゼルヘールらやその配下をこう呼んでいる。
(3:87-, 12:739)

フン族
Hunnen [独]; Hiune [中期ド]; Huns [英]
部族エッツェルが統べる部族。
(95回)

ペシェネーレ人
Petscheneger [独]; Petschenaere [中期ド]; Petschenegers [英]
部族エッツェルに恭順を示す野蛮(wilde)な民族。もとはカスピ海の北岸に住むトルコ系民族だが、ドン川からトランシルバニアにいたる王国を征服した。
(22:1340)

ベルネの君主、ベルネの勇者たち等

Bern(e) [独]; Bernaere [中期ド]; Berne.. (Lord of Berne, those of Berne, etc.) [英]
部族原意は、「ベルネ人」。ディエトリーヒの手のものをいう。
(31:1903,38:2312; 38:2273, )

ポーランド人
Polen [独]; Poelân [中期ド]; Poles [英]
部族エッツェルの挙式に集まる。
(22:1339)

ロシア人
Russen [独]; Riuzen [中期ド]; Russians [英]
部族原文では「リウツェン人」。エッツェルとクリエムヒルトの婚姻に馳せ参じた部族。 ドイツ中世詩で、オルトニットの叔父に「ルイツェン(ロシア)のイーリアス」がいる。
(22:1339)

付記

 当リストは、日本語は岩波訳がベースで、中世ドイツの現本としては、岩波やその他多くの外国語訳も定本としているB写本を 使った。"39:2379"の表記は「39詩章2379詩節」を意味する。「詩章」は、ドイツでは"1ste Aventeur.."つまり「第1のアドベンチャー(冒険) 等々と呼ばれているが、これは後世になって整理したものなので、現本のテキストにはかならずしも「詩章」には分けられていないのである。
 D-### とか A-### 番とかは、ドイツ-##番、オーストリア###番などを意味する、市町村の特定ナンバーである。ヨーロッパで使用 されているらしい。


資料/協賛・Acknowledgments

· 岩波文庫 赤 401-1(前編) , 2(後編)。相良守峰 訳
和文のテキストや、巻末注釈を参考にした。
· MHDBDB (中世ドイツ語コンセプト・データベース)
これを駆使して、固有名詞に該当する中世ドイツ語をフェッチ(データ取得)した用語大成が、この骨組みとなっている。今回の作成には欠かせない。
· アウクスブルク(電子)図書館C写本テキスト
ふつう底本にされるB写本とは内容や行番がところどころことなる。

· 岡沢 秋さんによる 神話&サガ『ニーベルンゲンの歌』コーナー
■あらまし■登場人物紹介 ■物語MAP、はたまた登場キャラのイメージ画などを、お手がけなさってます。

·朝倉秀吾 氏による『ニーベルンゲンの歌』購読ノート
地名案内こそないものの、人物総覧やデータは完備充実。
· OMACL の 英訳 - Daniel B. Shumway 訳 (1909年)
散文訳。この電子テキストの脚注も、場所特定に有用。岩波版の内容と重なるものも多い。
· Everyman' Library 文庫の 英訳 - Margaret Armour (432K PDF) (初版:1908年)
これも散文訳である。上とはスタイルを異にするので比較されたし。
· reiseplanung
(旅行プラン/マップ)
ドイツ語のヨーロッパ内の旅行プランナー。の行程・距離や、地図も表示させられる。
· Civic Heraldry
当サイトではここでは高さ96ピクセル均一のサムネイルを表示している。 大多数の紋章イメージを得たのは、この Civic Heraldry のページで、特に現ドイツ内の市は完備している。 それ以外、ハンガリーやオーストリアなどは、 Flags of the Worldや、当該の市町村庁・観光局・個人サイトのページなどさまざまな入手元があるが、基本的に紋章アイコンをクリックするとその入手元にいくように仕立ててある。 なお、オーストリアのaeiouカルチャー・情報システムでダウンロードした 紋章の画像(エッフェルディンク、メルク)は、著作権表示があったため、管理人があらためてベクトル画像として 手作りした画像である。また、メッツは、白黒半々の縦紋章なのだが、それではあまりにも地味なので、 フランスの1945年頃発行の切手の絵をもとにこれもベクトル画でカラー絵を手作りしたものである。

· Martyn Rady の"Recollecting Attila"
Crying Voice サイトの "God Terrifies Attila the Hun, AD 452 "
等からアッティラやエッツェルブルクの情報を得た。