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グリーム・カンバン Grímr kamban

 フェロー諸島への北欧系移民第1号者です。近代フェロー語式には、グルイムル・カンバンと発音されます。

謎1:グリームの渡来は9世紀のいつ頃のこと?

 
<フラテイ本> の大半を占めるオーラヴ・トリュグヴァソン王伝に取り込まれている『フェロー諸島の人々のサガ』の冒頭文には、こう書かれています−
 男は名をグリムル・カンバンと云い、彼が初めてフェロー諸島に住んだ。
〔参照:⇒ 写本の原文・画像
 つまり、アイスランドでもっとも美麗たる羊皮紙写本に、フェロー諸島の最初の(北欧系の)開拓者の名が、グリーム・カンバンとして刻まれているのです。

 さて、このグリームの移住期とは、はたしていつ頃だったのでしょうか?これについては、異説があります。

 『フェロー諸島の人々のサガ』でその後に続くくだりを読みますと、従来訳では、「グリーム・カンバンの移住は、ハラルド美髪王の日々のこと」とされています。

 ノルウェー統一を果たした美髪王の在位年間は諸説〔* 852/885〜923/945年〕あって、精密な年代特定はできませんが、かりに 850+ 年としましょう。

 しかしそれだと、修道僧ディクイル〔⇒『地球の測定について』の記述とは食い違ってきてしまします。  それは、825年にはもう異教の北欧人の渡来があり、それまでいたキリスト僧の集落はフェロー諸島を引き揚げざるをえなくなったという記録です。 (僧らは、俗世から隔絶して生活するために集落をきづいていた)。

 ですが、最近の研究では、『フェロー諸島の人々のサガ』の解釈を見直すことでこのジレンマを解決しています。

 つまり、新訳では、まずはじめに(825年に)グリームの到来ありきで、その後(850年以降)ハラルド美髪王に追われた[その他の]人間が移住してきた、との解釈をとります。〔* — Hans J. Debes 著『Føroya Søga』

 そうすれば、グリームの渡来の年代についての矛盾は解消します。
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 面白いことに、C. C. ラヴンはその鼎訳本で、従来訳を掲載しているにもかかわらず、グリームの渡来= 825 年説を採用していたのですね〔* 下図を参照〕

— C. C. Rafn 編 『Færeyínga saga』 (1832 年), pg.iv

フェロー年表 C.C. ラヴンが作成したもの(デンマーク語)。グリーム・カンバンの居住を825年としている。ちなみにシグムンドゥル・ブレスティソンは 966 年生、その年上の従兄弟のトーラは 964 年生、とある。

謎2: 「カンバン」という添え名の意味は?

 グリームの添え名 「カンバン」とはいかなる意味でしょうか?概して3説あります。

1) 通常なら、こうした添え名は、業績や性格、身体上の特徴などをあらわす「あだ名」とみなされるわけですが、一説では「跛蹇びっこ」の意に当てています。
〔* —Sara L. Friedmann のサイト Viking Bynames。 Geirr Bassi Haraldsson 博士の研究に基づく〕

 ただ、その根拠は、ちょっと私には不明です。古ノルド語で「カンバン」に近い語といえば:
kambr = 1) 「櫛(くし)」 2) (鳥類などの) 「とさか」
くらいしか見つかりません。

 
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2) じっさい、ドイツの民俗・言語学者ヤコプ・グリムは、「カンバン」は、「くしけず〕る」に通ずる言葉で、グリーム・カンバンが祖先崇拝されたことに関係があるのではないか、と推論しています。〔* Jakob Grimm 著 Deutsche mythologie, Kap. 3. 英訳:Teutonic Mythology, Ch. 3: Worship

3) 第3は、「カンバン」が、ケルト(アイルランド)系の人名カマン Camman だとする説です。〔* T. D. Kendrick 著 A History of the Vikings, Ch. 12: The Faroe Islands

 それはグリームがケルト系だったか、もしくはアイルランド出身の北欧人だったかことを示唆する、などと言われます。

 例えば深慮のアウズなども前身はダブリン国の王妃ですし、アイスランドまで多くのアイルランド人の扈従をしたがえてますから、そう突拍子も無い話ではないのですが。

グリームの子孫は?

 グリームがゆくゆくフェロー諸島にどういうかたちで子孫を残したかなどは、よくわかりません。

 確かにアイスランドの『植民の書』 Landnámabók〔* ⇒解説ページには、カンバンの家系について書かれています:

ヘルギは、その娘ヘルガを腐れアウズン、(すなわちグリーム・カンバンが子の壊血病のソールステインが子のバターのソーロールヴの息子)に嫁がせ、ハールスからヴィルリンガダルに至る土地をつけて渡した;[アウズンは]サウルバイに住んでいた。
Landnámabók 第 70 章
英訳: 第 3 部第 XVI 章
サウルバイ=現今のソイルバイ・イー・エイヤフィルジ町(アイスランド北岸のエイヤフィヨルズル湾の周辺)〕
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 しかし、フェロー居住者だったのは、グリーム・カンバンの家系から数えて三代まで。 曾孫の「腐れ」アウズン Au­ðun rotinn ともなれば、もうアイスランド移民です。

 つまり『植民の書』の記録は、アウズン以降は、カンバン家伝ではあるのですけれども、もはやフェロー史ではないのです。

グリームの孫、ソーロールヴ・ソールステインスソン

 カンバンの孫「バターの」ソーロールヴ Þórólfur smjör のあだ名には、いわくがあります。
 それはすなわちアイスランドの(再)発見の物語ですが、『植民の書』の第 1 部 第 2 章から要約して語ることとします:

(要約)
 フローキ・ヴィルゲルザルソンFlóki Vilgerðarson という名の男が、伝えに聞く「ガルザルの小島」をもとめて出航した。
 男の一行は、新天地に導いてくれるようにと願いをこめて3羽のワタリガラスを連れていったが、一羽目を放すと、それは船尾の方向へ飛んでいってしまった。 二羽目は、船に舞い戻ってきた。三羽目はそのまま舳先からまっすぐ飛んでいったので、その方向を追うと陸地が見つかった。
 一行がおちついた湾は魚であふれかえり、男どもは漁労にいそしむあまり、乾し草の刈取りをまったくおろそかにしてしまったのである。よって家畜は冬を越せず、全滅してしまった。あくる春、フローキは北にいき、流氷の浮かぶ入り江を見つけて、この地を「アイスランド」と名づけたのが、この名前が定着した。フローキは、そしてノルウェーに戻ってもこの地のことを悪しきざまにしか喋らなかった。しかし、同行したヘルヨールヴは、その土地の長所も短所も説いたし、ソーロールヴにいたっては、その地の草の一本一本からバターが滴るようだと言ったので、以後、「バターの」ソーロールヴとあだ名されるようになった。
(要約おわり)

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グリームが祖神おやがみとして祀られたこと

 北欧信仰やヴァイキング関連の著作には、グリームが祀られたことを祖先崇拝の例に挙げています
ヤコプ・グリムも
#前述の箇所(『ドイツ神話』第 3 章)で原文を引用していますし、英語では、Hilda Roderick Ellis 著Road to Hel, Ch. 4,や、W. A. Craigie 著The Religion of Ancient Scandinavia, Ch. 2 等。

 その典拠は『植民の書』ですが、より一般的な<ストゥルラ本> 版の『植民の書』にはなく、<ハウク本> 版にのみ加筆された描写です。現代アイスランド語だと:

Fra Sölmundi
Þórólfur smjör er fyrr var getið var son Þorsteins skrofa Gríms sonar þess er blótinn var dauðr fyrir þokkasæld ok kallaðr Kamban,. .
—Landnámabók(Hauksbók), þáttur 47, c.19*
* Finnur Jónsson 編, Landnámabók I-III: Hauksbók. Sturlubók. Melabók (1900年), pp. 12-13より。
(Cleasby & Vigfusson 辞書, p. 70も参照)
 で、訳出しますと:
セルムンドについて
「バターの」ソーロールヴは、「壊血病の」ソールステインの子で、 その[ソールステイン]は、グリーム、呼び名はカンバンと言って、 その人望ゆえに死後も祀られた[人物]の子だった。
 となります。

 この祖先崇拝を、果たしてアイスランドの子孫までがおこなっていたかは不詳ですが、 アイスランドでそんな風習があった証拠は無い、フェロー諸島だけにに留まるものだ、と 言い切る学者(学派) もあるようです。
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グリームは、賢者セームンドのご先祖でもある?

 どうもそのようです。

 ただいま訳出しました章「セルムンドについて」ですが、この後に来る内容は:
「バターの」ソーロールヴの息子がセルムンドで、これを父とする[子]をソルステイン[といい、]ボトンスアゥ川とフォスアゥ川の峡中のブリュニュダル(「帷子の谷」)のすべてを己がものとした。
 そして、バルザストロンドに住む「鵜の」ヘルギ・ゲールレイヴスソンが娘ソルビェルグ・カトラをめとり、「老」レヴという息子をもうけた. .
と、とまあ、ここまでは両方のバージョンの『植民の書』に共通して記述されています。ですが、その先は<ストゥルラ本>版だと、
老レヴは、ブリュンドゥリル一族(すなわち、「帷子の谷」 ブリュニュダル の一族)の祖である。
としかないのですが、<ハウク本>はもう少し詳しく:
帷子の谷ブリュニュダルのレヴを父[にもつ娘は] ハルドーラで、彼女は シグフス・エリザ=グリームスソンに嫁ぎ、それらのあいだにもうけられた娘ソルゲルズの子はシグフス[といって]、そは「賢者の」セームンド牧師の父であった。
と説明してくれています。



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